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藤田一郎 (実業家) 藤田 一郎(ふじた いちろう、1886年(明治19年)5月5日 - 1949年(昭和24年)9月19日)は、日本の実業家。土木建築請負業〔『人事興信録 第13版下』 人事興信所、1941年、フ六二頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2015年12月24日閲覧。〕。藤田組(現・フジタ)創業者。広島県多額納税者〔。族籍は広島県平民〔『人事興信録 第7版』 人事興信所、1925年、ふ一七頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2015年12月24日閲覧。〕。広島商工会議所会頭、日本放送協会中国支部理事長などを歴任〔藤田 一郎とは コトバンク。2015年12月24日閲覧。〕。弟は藤田組共同創業者の藤田定市。参議院議長を務めた藤田正明は甥。 == 経歴 == 広島県出身〔。藤田次助の二男〔。1910年12月、24歳の頃、弟の定市とともに広島市台屋町(現・南区京橋町)で土木建築請負業を始めた〔広島から東京へ - 戦前の歩み 『フジタ百年のあゆみ』1 - 2頁。2015年12月24日閲覧。〕。1912年4月、分家して一家を創立する〔。 1916年、小倉の陸軍第十二師団の兵舎の受注を果たした〔。正式に「藤田組」を名乗り、一郎が組長に、弟の定市が副組長になった〔。1937年、「株式会社広島藤田組」設立、取締役社長に就任〔。1944年、一郎は社長を辞任、会長に就任、弟の定市が社長に就任〔〔(株)藤田組『藤田組の五十年』(1960. 04) 渋沢社史データベース。2015年12月24日閲覧。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤田一郎 (実業家)」の詳細全文を読む
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